戦争×アート by齊藤 彩
2015年の春、私は京都を訪れていました。立ち並ぶ寺社仏閣や多くの店で賑わう三条通をしり目に、私の足は鴨川を渡り東へ、京都市立美術館へと向かいます。現代芸術の国際的な展覧会であるビエンナーレが、古都京都で開催されるということで、見に行くことにしたのです。
ところで、京都市立美術館が、いささか変わった経歴を持っていることをご存じでしょうか。昭和8年の設立当初、東京都美術館に次ぐ規模の美術館として話題を呼び、当時最大の美術展であった帝展をはじめ古都京都で多くの展覧会を催してきた京都市立美術館。この美術館の大陳列室にはかつて、バスケット・ゴールが設置されていました。戦後、GHQの占領下に置かれていたこの美術館は、軍の兵舎として使用され、大陳列室は娯楽室として使われていたのです。
第二次世界大戦に翻弄された記憶の残るこの美術館で開催されたこの国際的な美術展。中でも最も印象深かった作品は、ジャン=リュック・ヴェルムートというアーティストのインスタレーション、『カフェ・リトル・ボーイ』です。展示スペースに足を踏み入れると、四方の壁は天井と床の接地面まで全て黒板で埋め尽くされていました。黒板の壁は赤や黄色、青色など色とりどりのチョークで描かれたイラストでカラフルに彩られています。立ち並ぶ家のイラストやSMILEという文字、70という数字は、戦後70年を示唆したものでしょうか。黒板でできた壁のせいか、はたまた向かって右側の壁にポツンと掛けられた丸時計のせいか、カフェというより昔ながらの小学校を思わせるような部屋。それもそのはず、この作品は原爆の投下によって被害を受けた広島市立袋町小学校をモチーフに制作されたものであるからです。袋町小学校は原爆が投下された際、その爆発によって外側の壁のみを残して廃墟になってしまいました。しかしその後、地域の避難所となったこの学校に命からがら逃げてきた人々が、はぐれてしまった家族や親せきに向けて彼らの身が無事であることを願いながら、真黒に焼け焦げた外壁に、落ちていたわずかなチョークでメッセージを書きつけたのです。
非常にポップな色合いで見ていて楽しい気分になる作品でありながら、インスピレーション源となった小学校の過去は痛ましいものです。かつてアメリカ軍の占領下に置かれていた施設で、彼らによって一瞬のうちに奪われた命があったのだという痕跡を無言のうちに訴えるアートが展示される。勝者と敗者の現実が同じ施設に同居している様子は、現在の平和な生活とコントラストがあまりに強く、私たちの生の背景にあった多くの死が迫って来る思いでした。
もう一つ、作家は大切な思いをこの作品に託していました。黒板の壁にポツンとかけられた時計がありましたが、実はこの時計、長針と短針は微動だにせずじっとしているにもかかわらず秒針のみ動き続けているのです。時計は、8時15分を指しています。この時間は広島に原爆が投下された時間です。これは作家の言葉ですが、ある出来事で時間が止まったとしても、その後も人々の生活は秒を刻んでいく。時間は流れ続けていることを示しているのだと。時計は、長針と短針、秒針があってひとつです。原爆で亡くなった方々の生と、いまを生きる私たちの生はつながっているということが意識されます。戦争は過去のものであり、私たちは実際に経験していないことと関係を持つことは出来ないのだと線を引く。それは果たして正しい行ないでしょうか。過去から未来へとつながる命を意識して、背筋の伸びるようなそんな作品に出逢いました。
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